どくさいじんみん島 公式ウィキ/D◆SAI Official Wiki - 平城門事件
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平城門事件(へいじょうもんじけん)とは、2023年1月29日に大規模左翼団体がどくさいじんみん島にて反乱を起こし、平城市内各所にサリンなどの有機リン系の化学物質が撒かれた一連の出来事である。

目次
1.概要
2.終焉
3.各国の反応と対応
4.死者数、負傷者数など


首謀者は将軍様を嫌っていただいふく島の首領りゅーざき?首相。この島には本国の左翼団体の巣とも言われているくらいに左派が多い。

本国の首都平城市?においてで毎月2回開かれる最高人民会議?については、出席はするがそこで飲食をすることや採決への参加(採決の意を示す起立を含む)も禁止されている(国歌斉唱の際は例外)。
こういった経緯より、りゅーざきは将軍様の政権に対して不満を抱いていた。
クーデターを計画していた左翼団体は平城市中心部に向かうためにプライベートジェットを利用し、機内へは爆弾、サリン、硫酸などの危険物を積載した。しかし空港側は危険物の所持を知る術がなかった*1
そして2時間後平城国際空港?に着き、平城市高速電気軌道中央環状線やレンタカー、4トントラックなどを用いて将軍様がいらっしゃる平城市中心部へと向かった。

到着後、まずは高速道路爆破の計画を決行しようとしたが警察?に職務質問を受け失敗に終わった。他6人はまず郊外の核開発施設に向かい、そこにいた研究員8名を散弾銃で射殺し研究服で侵入しサリンを散布。現場にいた作業員、軍人20人以上が死亡。
その後りゅーざきは左翼団体に平城門*2にて大規模デモを行うよう指示した。その後最高護衛官や一部の部が異変を感じ将軍様に報告。将軍様はデモ隊を鎮圧する様に指示した。人民軍や親衛隊は直ちにデモ隊を鎮圧しようとしたが自爆テロが発生し妨害を受けた。

またりゅーざきは他の左翼団体に対し、「平城市南浦区の南浦海岸?にサリンを散布しろ」等の指示をした。海岸には多くの観光客がおり1000人以上が死傷した。これに将軍様は激怒しデモ隊がいる地域などを空爆する様に指示した。またこの空爆により、民間人を含む600人以上が死傷し、国鉄線の線路が破壊されるなどの被害が発生した。

首謀者のりゅーざきは空爆で骨折などの重傷を負った。
3日後の2月1日、傷病により入院していた病院に対して別件で立ち入り検査が行われ、秘密警察にりゅーざき氏は逮捕された。
その後平城中央公安局における取り調べにおいて拷問を受けたのちに容疑を認めた。
逮捕後1週間ほどで平城特別検察庁によって起訴され、さらに数日後の2月13日に平城特別裁判所にて公判が行われた。裁判では検察などが意見を陳述し公開処刑を求刑、即日結審した。
翌日の判決では国家反逆罪などによって首謀者などのほか関与が疑われた党幹部を含む59名が死刑判決を受けた。現在、平城拘置所にて待機中である。

今回の事件で10000人近くの人が亡くなった。
将軍様は緊急対策委員会を設け政府幹部を叱責なされた。
デモ隊と軍が衝突している様子
大規模デモ一部
この事件で各国、各島からの追悼の声が寄せられた。
同盟国のラプラス島?やもっちり島は軍を派遣などどくさいじんみん島に人道支援を行なっている。
ある。
※日本円に換算し表示する。
死者数8734人(2023年2月時点)
負傷者数2万6000人以上
失脚された幹部の数300人以上
被害総額1兆3849億2305万円
亡くなった主要人物の数120人

外務省などは今回の事件を境に植民地や左派が大量に所在する国や地域からの入国制限を設ける事を発表した。